チーフ職に就いて7年目にして、初めての妊娠。夫は兼業に理解があって、残業で私の方が遅く帰ることがあれば夕食は自分で済ませ、場合によっては車で迎えに来てくれる人です。休日は家事にも協力的で、ダンドリや勝手が分からないだけなので、私がお願いした作業は仕事で疲れていたとしても、私も同じだからと快く手伝ってくれます。夫婦として関係は良好で、それゆえ子どもが出来ても二人でやっていける手応えがありました。
30代半ばの私でしたが、子どもが欲しいと思ってから半年ほどで妊娠。結婚10年目の同僚が、私よりずっと若いのに不妊治療で苦労していたので、気長に、プレッシャーをかけないよう気持ちを分散させるなど意識していたのですが、呆気ないほど普通に妊娠できました。同僚は喜んでくれ、あやかるとも言ってくれ、生理と同じように妊娠も感染(うつ)りますようにと、プライベートでもよく一緒に過ごしていました。
チーフ職は私一人だったので、上司や社長は瞬間困った様子でしたが「ワーカーホリックのおまえだから、産休だけで復帰するだろ」と前向きに理解してくれました。が、私は初めての妊娠が不思議で面白く、この体験が今後何かに活かされるだろうと、たっぷり育休まで取ると宣言しました。
私の計画では、長年溜め込んでいた有休を消化しようと産休の1ヶ月前から休みに入り、復帰は正社員なこともあり保育園入園の優先度が高いことは分かっていました。自治体が保育園や託児所に割と力を入れていた頃も重なって、受け皿の数もあるし少し早めに動けばなんとかなると思っていました。万が一、育休明けまでに保育園が決まらなくても、在宅ワークが可能なこと、フレックスタイム制であること、社長が「デスクの隣にベビーベッドでも置いてやる」とウソか本気か分かりませんが、既成概念にとらわれず何とかしてみようという空気が有り難かったです。
私が責任ある仕事の立ち位置であっても、落ち着いて妊娠を受け入れられたのは、赤ちゃん1人くらいなんとでもなるという体制が、現実的に整えられだったからでした。ワーママになろうとしている人が最も苦労する壁を、ひらりと越えたのですから、あとは私のモチベーションと頑張り次第です。
ところが、妊娠3ヶ月に入った頃に突然の出血。会社からタクシー代を出してもらって、地元の病院に飛び込んだら、そのまま入院でした。胎盤に繋がっている臍帯(へその緒)の結合部分から出血していると、ドクターがあまりにサラッと言うので「大したことないんだろう」というのが当時の私の理解です。今思い返せば、赤ちゃんの命綱であるへその緒がちぎれかけている状態だったと思うので、無知は恐ろしいなと思いました。ちなみに原因は、妊娠初期の動きすぎ、だそうです。
仕事の途中、痛みでなく尿意でトイレに行き便器が鮮血でいっぱいになって脂汗をかいたので、デスクもパソコンもほったらかしでした。明日までに上げる仕事もできず、誰かに引き継ぐこともできず、思い描いていたバースプランは白紙。会社にもクライアントにもご迷惑をかけたのですが、そこは妊婦という手前、誰からも責められることはなかったものの、想定外のことが再びあったら赤ちゃんの命も心配ですし、産後にバリバリ働けない私を会社が待ってくれるのだろうか、という本来誰もが抱く不安にやっと直面したものです。
トイレしか起きてはいけない、という絶対安静の状態で2週間粘った甲斐があってか退院することができました。けれど翌日からすぐ満員電車に乗れる自信はなく、さらに3週間ほど自宅で安静することに。他はまったく元気なので、電話とインターネットを介して在宅ワークに切り替えることができ、転んでもただでは転ばないとはこのことで、シミュレーションしていた仕事スタイルを産休前に仮稼働することができて良かったです。やはり頭で想像するだけより、実際に動いて手応えを掴む方が安心感と確信が違います。
復帰後は、入院前より忙殺されました。けれども有り難いことに、「日帰り出張はグリーン車を使え」「打ち合わせの後はタクシーで帰って来い」と厚遇で、残業が長ければ翌日は午後出勤アリで、終電に乗れなければ夫が車で迎えに来てくれて、今までの人生でお姫様のような扱いを受けたのは、大きなお腹でのしのしと歩く初めての妊婦期間だけでした。
私の会社で妊婦社員は私が初めて。産休や育休、出産一時金、そうした事務的なことも何となく知ってはいたものの、この会社では不要と気にも留めなかった反動で、私の知らないところでバタバタさせてしまっただろうと理解しています。それでも有り難いことに「マタハラ」に悩まされたことは一度もありません。
ただ驚いたことに、私が産んだ1年後に不妊治療していた同僚が妊娠し、彼女は体調を崩すことなく規定通りに産休に入り、1年後復帰するつもりでいたのが叶いませんでした。運の悪いことに、会社の業績が傾き始めて、戦力にならない社員の産休・育休をカバーするだけの体力が会社になかったそうです。「あなたがモデルケースになってくれたから、同じ道を辿ればいいと気楽に考えていたのに」と残念がり、結局彼女は、産休だけは社長の温情で取らせてもらえたものの、育休に入ることなく退職しました。
ちなみに私は、育休中の育児は慣れない大変さはあったものの、比較的大人しい子だったので産後鬱になることもなく子育てをエンジョイしていました。するといつしか、自分の活躍よりも、子どもが活躍できるようサポートする方が未来に繋がるのではないか?と考えるように。同時に、たった1ヶ月でもぐんぐん進化する子どもを見ていると、急激なこの変化をしっかり見届けたい、働いたらいつの間にか大きくなってしまうようで、きっと寂しい、という思いが強くなったのです。
そこで会社に復帰せず、フリーランスとして必要な時だけ仕事をするスタイルを提案したところ、社長も雇用にかかる諸々の費用を抑えられて、かつ戦力と繋がっていられるとメリットを感じたようで、外部スタッフになる提案を受け入れてくれました。育休が明けたら私の職場は自宅となり、子どもにおっぱいをあげながら書類を作るスタイルに切り替わりました。
レアケースかもしれませんが、私は「前例がなかった」ことが有利に働いたと思っています。周りの男性陣は子どもがいても、自身は妊娠など未経験ですから、「妊娠中はこうしたらいい」「あれができたら両立できる」と、提案がある方が対処しやすかったのではないでしょうか。もちろん妊婦であることを利用して、仕事を楽したり、ズルイ気持ちがあってはいけませんが、病気ではないけれど普通ではない体を理解してもらうには、相手から聞いてもらったり気を遣ってもらうのを「待っていてはいけない」と経験上思う一人です。言ったもん勝ち、やったもん勝ち、ではないですが、凸凹をうまく噛み合わせられるアイデアを常に自ら練って、先方が納得してくれる、受け入れてくれる、その努力だけは惜しまないことが大事だと思いました。ただただ受け身で、チヤホヤされるばかりのお姫様に、そう都合のいい話が転がってくるワケないのですから。チーフの頃より母になってからの方が、自ら切り拓いていかないと、という気持ちが強くなった…イコール責任を背負えるだけの強さでもあるかもしれません。